うるるんフィンランド−8日目(5/29)

ばすをぶすという

Kuressaareで一番の観光名所 Kuressaare城へ行く
Jaanの話によれば昨晩の雷光は実は恐ろしいものだったらしく いくつかの無人のコテージが全焼してしまったとか
大きな被害が出たようでびっくり


ソ連による度々の占領で シベリアに送られた人も多かったKuressaareの街
そんな悲しい歴史を繰り返さないための資料がたくさん展示されていた
お城には私たちのような観光客以外にも 地元の小学生がたくさん見学に来ていた
こっちに来て一度もアジア人を目にしていないからか 彼らにも奇妙にうつっただろう


今日はこの旅ではじめての外食ランチ
やっぱりボリュームは外国だわ・・・ってくらいのポテトの量にひるんだ私は またしても弱腰にサラダを注文
だってまだ朝ご飯が残ってるぅぅ
EinoとIrjaだって普段家ではそんなに食べないから 1プレートを2人でシェアするのかしらと思っていたら しっかり1人ずつ
残すのかなと思ったけど これもあっさり否定され ゆっくり時間をかけながらしっかり完食していました

左は私が注文したサラダ グリーンサラダを注文したはずだったんだけど・・・(汗)


いつものように買い物を終え Jaanの車に乗り込むと いつもと道順が違う
どうやらドライブに連れて行ってくれるんだって♪ わーい


Saaremaa島はとっても小さい あっという間に島の端に到着できる
民家のある通りを抜けると一直線の道が続き あっという間に海岸線が見えてくる
港で降りると Jaanは丁寧に、でもエストニア語で何やら教えてくれた
(たぶん)ラトビアはあっちの方だよ、とか Saaremaa島はこのくらいの大きさなんだよ、とか
帰りがけには自分の家の前を通ってくれた 
通りから少し奥まったところにある とぉーっても大きな家
出迎えた犬は どこかで捨てられていたところを拾って育てているのだとか
何より そんなJaanの優しさが嬉しいドライブだった


夕方は、ここでの2人の一番の仲良しだという Arko一家が遊びに来た
私より少し年上のArko夫婦には 二人のかわいい娘がいた 
6歳のお姉さんは恥ずかしがってすぐに親戚の家に行ってしまい 産まれてまだ6週間だという妹のSaaraちゃんが残った
昨日の酔いが残ったまま今日もスタートしたIrjaは もうこの時間で全開
眠いSaaraに時折大声で声をかけ 夫婦に「シーーーーーッッッ!!!!!」と怒られることもしばしばだった


風のない今日 もちろんエアコンもファンもないコテージは Saaraには暑かったのだろう
その上眠くてしょうがなかった彼女がしばらく落ち着くまでには時間がかかったけど その間にお母さんと色々な話ができた
エストニアでは出産後6ヵ月間は100%の給与が国から保障されるらしい その代わり育児施設が2歳〜しかないため 働く女性にはまだまだ大変
それでも日本よりいいんじゃないかなって話をしたら エストニアでもここまで改善されたのはつい最近のことで 上のお姉ちゃんのときは親戚のおじさんに預けてなんとかのりきったと言っていた


最初は言葉少なかったArkoも コニャックの力でだんだんと軽快になってきた
“バルト”効果でエストニアでもお相撲はだいぶ知名度があがってきているらしく 塩をまいたりするあのスタイルに興味津々だった
ただ 「東京に行きたい!」という人はただの一人もいませんでした
・・・当然よね 


Einoたちももう70歳超
体のいたるところがきしみ始め 持病もあったりして なかなか体力仕事がきつくなってきた
こうした別荘での生活もだいぶ大変らしい ましてやここはエストニア 片道5Hくらいかかるこの場所へは 来るのも大変だ
それを一番感じているのはほかでもない二人
もしかしたら 私たちがここでこうして一緒に過ごせるのは 今年が最後かもしれないって聞いたのはその日の夜のことだった


18時前には完全に酔いがまわりきっていたIrjaはその夜
ついに腰がたたなくなり トイレに行こうとして真っ逆さまに倒れた まさに“ぶっ倒れた”という表現がぴったりなくらいに
一瞬白目をむいたかと思ったが すぐに目を覚まして自分であたふたしていた
自分で起きることもできないが 大きな体を起こしてあげるのも至難の業
“自分で起きるまでほっとけ”という強いEinoの指示により 私たちはそのまま眠ることになった