肉声

なかよし

最近 愛姪っこが頻繁に電話をくれるようになった
ひとむかし前までは 電話口に出ても鼻息しか聞こえず 話しかけても照れてしまっていたのに
自らの意志で 自らの言葉で話してくれることが 何より嬉しく 日々楽しみだ


最近のお年頃な人々は たとえば愛の告白をするとき どうするんだろう
私がお年頃なときは それはそれは一大事だった
周囲の多くを巻き込んで ああでもない、こうでもない、と打ち合わせの日々
やっと決まったセリフも 受話器の前では真っ白になって でも相手のおうちの人の優しさにほっとしたりする
考えていたことが半分も言えなくても 気持ちは120%伝わるみたい
電話を受ける方も大変だ いい返事も悪い返事も 面と向かって顔色を見ながら それはそれは丁寧に伝えようと必死になる こちらこそ うまく伝えられないと一生悔いを残すことになる


いざ告白成功しても まだまだ難関は多い
話したいときは必ず家族経由 ただ「○○さんいますか?」じゃ寂しいから「こんばんは!」なんて明るく言ってみようかしら、でもちょっと恥ずかしい。。。なんてうずうずしていると、電話口の向こうで「あら、○○さんねっ!」なんて陽気に言われ、自分が記憶されていたことに飛び上がるくらい嬉しくなる
電話の時間は何時がいいかしら?話したいけどこんなことくらいで電話してもいいのかな?なんてうずうずしていると電話のベルが鳴ったり
周りには家族がいるもんだから 知らず知らず家族中の人と知り合いになっていて 初めての訪問も「待ってました!」みたいな感覚 緊張もあるものの どこか懐かしい、「久しぶりっ!」って感じ


携帯電話やメール機能の出現で こうしたうずうず感は一掃された
ボタン一つで気持ちを伝えられる便利さもいいけれど
呼び出し音の向こうの世界を想像しながら心臓が爆音をあげるあの瞬間を体感することは 後の人生にきっとプラスになる