妻有の旅−3日目(9/7)

昨晩の天気予報によれば、今日は大雨だった
今朝、山の向こうにやっぱり重苦しい雲が見えるものの、こちらでは青空も!
山の天気に助けられているうちに!と勢いよく出発。


家プロジェクトはほとんどが10時〜なので、いくつか屋外の作品を見ながら、新日曜美術館でも紹介されていた、日大芸術学部の「脱皮する家」を見にいく。


TVで見たとき、正直この家は見ていられないかも…と思った
“ある”模様に過剰反応する私は、ときに水玉模様までが気持ち悪くなり、悪寒と吐き気がしてくる。
“ある”がどんなものかを口で説明するのは難しいのだけど、この「脱皮する家」の模様も同じ系だ。
でも、中に入ったら、全然違った
中心に一心不乱に向かう彫り目 まさに家が目を覚ましたような、あふれる生気を感じる
年季の入りまくった真っ黒な木々の奥に 今でもこれほどまで美しい木の白色が存在するのかと
その生命力と自然の偉大さに圧倒され 美しさに目を奪われる 
ここで暮らしていた人やこの地域の人々の生活までが眼前に広がるような そんな素晴らしさだった
かたや 私が住むこの部屋を彫刻刀で削ったら一体何が出るのだろう…と想像して肩を落とす


この周辺には、他にも作品が集まっていて、それらを全て見ることができた
松代の奥深い場所 こんなところまでくることができたのは、この芸術祭があったからこそ
土地勘のない私たちに この美しい町並みや自然の豊かさを肌で感じる機会を与えてくれて
芸術祭開催に携わる人々はもちろんのこと こんな奥地を選んで作品を展示しようと決めたアーティストのみなさんにも感謝をしながら次なる作品へと車を進めるわれら


次は津南エリアへと向かう
長い山越えを終えると、3年前の見慣れた風景が広がる
冬はスキー場となるマウンテンパーク津南のそばに、3年前に衝撃を受けたドラゴン現代美術館の登り窯がある。ここで開かれたキキ・スミス展に私はえらく感動したのです!
が、今年はあいにくの雨なので、山道を徒歩で登るこの展示はあきらめて、周辺を見て終わり。


途中トラックにあおられながら、さらに進んで新しい集落に。
原すがね「弾/彼岸の家」では地元の人々とともに、伝統的な行事とここで起きた過去の、とりわけ戦時中の記録を彷彿させる
ものをあわせた作品がある。赤く染められた布がとても力強く感じた
その2階では池田光宏「ポップアップ・プロジェクト・足滝バージョン」
屋根裏部屋に入れるのはたった4つの穴からのみ
頭だけをもぐらせて目の前に広がるのは かわいらしい屋根裏の世界と そこでしか出会えない残りの3つの穴からのぞく“頭”
そんな非日常的な空間がおもしろいのはもちろん、非日常へ行ってしまった人を外から見ることができるのもこの作品のおもしろさ。特に、屋根裏の世界には実はカメラが仕掛けてあって、外の人だけがブラウン管からその様子を見ることができるようになっている
とっても微笑ましい作品で、「あ〜これはみみちゃんでしょう〜っっ!!」なんて声をそろえてしまった作品。


続いてみたポチョムキンやリチャード・ウィルソンの作品にも大満足し、遅めの昼食へ。


昼食をとっていると、ついにきた!今日も雨の始まりです。
それでもここにある作品は是非見たい!としぶとく作品に向かう私たち。とても楽しみにしていたのが「田園の枯山水

田んぼの、ほんとにど真ん中にぽつんと置かれた作品
人がいなければそれとわかるのも難しいところにある
稲をかきわけ行ってみると 置かれているのはガラスの板だけ
が、そこに登ると途端に別世界に…


なんて美しい豊かな国なんだろう 少なくともこの、私の目の前にある景色だけはそうだ、と胸がいっぱいになり、言葉を失ってただただこの景色をできる限り吸収しようとする
そして現実とあらためて向き合うときがきても もうあの景色は常に対極にあるに違いない
こうべをたれた 黄金に近い稲の色は 雨晴れに関わらず美しかった


雨は降ったりやんだりを繰り返すものの、昨日に比べればだいぶまし。ということで、まだまだやめません。
十日町まで北上し、また細い道を走っていると、出てきたのはドミトリ・グトフの「掛け軸」。

天気に助けられてか、その大きさ、文字がかもしだす雰囲気、周囲のうっそうとした景色で背筋がぞっとする作品だった
ガイドブックによれば「遠い昔の思い出を展示」とあるが、むしろ何かを強く訴えているような、力強いものだった


さらにその先にあったアイシャ・エルクメン「ここで何が起きたのか」
2年前の地震で被災した家が、そのときのその時間のままの状態で残されている
正確にいえば、家主が何度か戻って整理したらしいのだが、「一体どこを?!」といいたくなるくらいめちゃくちゃだった
地震の体験のない私にも、地震がくれば上にある物が下に落ちる、くらいは想像もできる
でも、壁が剥がれ落ちたり、動くはずがない(と思っている)風呂や天井がゆがむとは、TVで見ることはあってもやっぱり体感できてはいなかったのだと、表現しづらい思いにいたった


たった一日の、それも数時間の中で、これほどまでに多くのことを考えたり感じたり、喜怒哀楽を出したりする機会はなかなかない。それをこの大自然の中でできることがどれだけ人間らしいか、今振り返っても貴重な時間だったと思う
日々の生活に戻っても これに及ばずとも 豊かな感情はいつまでも持ち続けていたものだ


十日町の市街に入り、レアンドロ・エルリッヒ「妻有の家」他数作品を見て、今日の2人はお腹いっぱい。
家の近くの温泉に入って帰ろうと思ったそのとき、雨足が一層強くなり、ワイパーが追いつかないほどになった
露天風呂からの景色が売り物の「芝峠温泉」も、稲妻と霧に脅かされほとんど景色が見えなかったが、今日の疲れを癒すのにはとても気持ちのいい温泉でした。


みらいでの宿泊も今日が最後。おっとさんは最後までお風呂が名残惜しく、行ったり来たりを繰り返していましたが、さすがにお風呂のお湯も弱り始めてきたみたいで、明日の朝に最後の望みをかけていました。
頂いた新鮮野菜とどぶろくを今宵も楽しんで、就寝。